薬師如来立像


  平安初期(9世紀末〜10世紀始)
 国重要文化財指定(明治39年国宝指定)
 桧一木彫り 古色 像高43.3cm 右手は施無畏印 左手に薬壷

 この仏像の特徴は一木彫りに共通の総じて肉付きのよい体躯と新月型の眉毛から頬に流れる豊麗なる容顔、大き目の鼻、穏やかな唇、両肩から腕・腰・裾へと衣が織り成す刀法は彫りが深く立体感があり、小像ながら気宇雄大な表現力があります。その他、翻波式や茶杓状・Ω状技法や表現等細部にわたり平安初期彫刻の特色をよく伝えています。
 また、この像の由来は、縁起にも見られるように皇室とのつながりなどから、賜りものとして都より運ばれてきたものではないかとする説が有力です。


正面写真(ラミネート、パウチ仕上げ)
 L版(89×127mm) 200円
 A5           500円      

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鰐口(わにぐち)
  鎌倉時代前期 貞応3年(1224年)
 国重要文化財指定(昭和40年5月指定)
 鋳銅 面径31cm 県内最古

 鎌倉時代の特色を備え、古雅の風様を伝えた形体は数ある鰐口の中でも優品といえます。 外周には銘が刻まれており当時の様子が伺い知ることが出来ます。右側には「貞応三年大才甲申 二月十五日 甲斐国西郡高林内 中尾権現宮之全願主 阿闍梨 長慶 花押」左側には「仰願三所権現五躰王子 四所明神 弟子等願所生死之果報 心期所 臨終正念 往生極楽 乃至法界衆生平等利益為也」とあります。
不動明王版木

  室町時代 文明9年(1477年)
 県指定文化財(昭和44年指定)
 縦61cm 横44cm 厚さ3cm 桜材

 この版木は本尊不動明王像を模して版にし、檀信徒に配布したり戦勝や出生の祈願に用いられました。作成当時の時代背景からすると、地方豪族が台頭し、各地で一揆が盛んに勃発して、戦国時代の幕開けともなった時代です。版木の裏に銘が彫られており、寺の山号が「大勝金剛山」と『勝』の文字が代用されたところにも、武運祈願の目的も含まれていたことが想像されます。その銘には「祖玉四十二才開是畢 甲州胡摩郡鷹津野郷 大勝金剛山明王寺 文明九年丁酉十月十六日 阿 明尊」と銘があります。版全体を迦瑠羅炎が包み、中央壇上に結跏趺坐して座す姿は、忿怒相の天地眼で敵を威嚇しています。また、螺髪の細かな渦巻模様や火炎の力強い線が織り成す版面は繊細な彫刻を見るかのようでもあります。
 長い年月を経たにも拘らず、今日でも立派に使用に耐えることは、誠に珍しいことです。この木版は御本尊の御姿を木版にし、刷って壇信徒に配布したものです。

不動明王像複製画
 1000円(原寸大)

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四脚門(勅使門)
町指定文化財 間口一間
 室町時代の遺構を伝える

天皇・皇室からの勅使を迎えるために作られた門

棟の東西の鬼瓦は阿形(あ・口を開いている)と吽(うん・口を閉じている)形を表し、貴重な鬼瓦があります。

平成21年12月 改修工事完成
町の文化財補助金と多くの檀信徒の皆様のご援助をいただき改修できました。
織田信長禁制札
町指定文化財
 安土桃山時代 天正十年銘

 武田勢が敗れて直ぐに、信長公の手厚い加護があったことが伺えます。内容は
一、いかなる者も乱暴狼藉をはたらいてはいけない事
一、寺中山林竹木を勝手に伐採してはいけない事
一、権限のない者が勝手に人を使ってはいけない事
守らない者は即刻処罰されますよ 

 という内容の立札で誠に貴重なものです。
 不動明王二童子像掛軸
町指定文化財 令和3年1月指定
絹本着色
縦125p 横60p
鎌倉時代 13世紀

忿怒の形相で火焔を背にして岩の上に不動明王が立ち、向かって右に矜羯(こんが)羅(ら)童子、左に制?迦(せいたか)童子が従っている


箱書きには
甲州西郡明王寺常住 常院主(いんじゅ)薩摩国伊集院荘厳寺弟子分神崇実名実勢(花押)/ 如上書付軸干有之/ 鳥羽僧正御筆 永禄八乙丑三月一日 表補衣細工 岡本秀全

寺宝 
不動明王座像(秘仏) 開山儀丹行円聖人感応
 閻浮檀金 鋳造仏

寺宝
五大明王像 江戸時代前期 

寺宝
不動明王掛軸 弘法大師作
先人が残してくれた大切な文化財。ものを大切にする心とともに、地域の人達と共に、これからも大切に保存していくことが、義務だと考えます。
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