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山梨近郊から多くの方が水子供養のお申し込みをいただいております。当寺院の水子供養はお布施で行っておりますのでご安心下さい。金額がご心配の方はこちらをご参考にしてください。 ご依頼者の立場になってお気持ちの安らぐ対応を執らせていただいております。 水子様にお戒名を授けさせていただき、お位牌を作り、ご供養のお経をお上げし、 あわせてお施主様の心のケアーをさせていただいています。 水子供養の専門書にも参考事例として掲載されていますので安心してご依頼ください。 お問い合わせ 明王寺住職携帯 090-3106-9141 |
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開山 甲州百名山のひとつである櫛形山は古くは鷹座巣(たかざす)と呼ばれ半月形の山容は鷹が巣に戻り羽を広げて伏せている姿に似ているところから名付けられました。 明王寺の開山である儀丹(ぎたん)行圓(ぎょうえん)上人は奈良時代の天平神護年間に伊豆国から北の空に輝く瑞光の源を求めんと甲斐に入り、利根川の上流で大きな滝に至り、ここが修行の適地として日夜苦行を重ねました。この滝は上人の名前を取り「儀丹の滝」と呼ばれ現在では展望台が設置されて眺めることができます。 上人は明王寺を建立するのと時を同じくしてに山中に別院「鷹尾寺」を建立し、山岳修行の道場としました。明治維新の神仏分離、廃仏棄釈などの経過の中で現在は「氷室神社」として平林地区の氏神として信仰されています。境内には樹高 40m、 目通り幹囲 8.2m、 推定樹齢 1200年の天然記念物の大杉の木がその歴史を物語っています。 |
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泥塔供養に使用されたと思われる『泥塔』(右写真)が発見された場所は明王寺古絵図に描かれた境内地内の「大日堂」跡から発見されました。(昭和60年〜63年発掘調査) この場所からは宝塔型泥塔と104点の土器(皿・坏)など総数1088点が発見されました。現在、山梨県立考古学博物館に保存保管され県指定有形文化財(考古資料)を受けています。また発見された場所も「権現堂遺跡」として埋蔵文化財の指定を泥塔と共に受けています。 平安時代末期の泥塔供養盛期の物とされの習俗や宗教の実態解明に欠かせない資料です。使用目的は怨霊調伏・病気平癒や末法思想における極楽浄土に願いを込めた祈願遺物と考えられます。 また全国的にも珍しい泥塔の成形過程や製作技術も解明され重要な文化財です。 |
宝塔型泥塔 |
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